2
ピアノの音が響いていた。
一際背の高い建物の屋上で、どこからともなく響き渡るそのピアノの音に耳を澄ましながら、そのチアリーダー服を着た少女は雪の降る夜空を見上げていた。
「……流石に、星は見えないわね」
大学の部活で使っていた、可愛らしいチアリーダー服に防寒性能は期待できないだろう。
ベースは黄色。スカートには交互に黒が入っているため、まるで蜂のような印象を強く与えてくる薄着の服装だった。
クイーンビーにふさわしいデザインなのかもしれない。
「……、」
長い茶髪のポニーテール。大きく盛り上がる胸元に印刷されているのは、かつて幸せな時間を作り上げた学校の紋章と学校名だ。だがもはや過去に馳せる想いも価値も意味もない。
そのチアリーダーの少女の名は、セフィア=スチュアート。
正真正銘、マルルト一二人の使徒の一人、『チアリーダー』のクイーンビー。
この寒い中、屋上にいるのは彼女一人ではなかった。
その屋上に横たわっているのは長方形の箱。しかし箱と呼ぶにはあまりにも規模が大き過ぎる印象がある。そのサイズは自販機ほどもあるか。
棺。
そう言い換えた方がまだ納得する人間は多いだろう。
不思議と雪が一つも積もっていない、そのガラスケースのように透明な棺の中には一〇歳ほどの一人の少女が収まっていた。
赤と白のコートを羽織り、白いミニスカートを穿いた少女。先のウェーブした赤いショートの髪の毛からは、右耳につけた音符のピアスが覗いているのが特徴的と言えば特徴的か。
サンタクロース。
レベッカ=サンクチュアその人であった。
「……ごめんなさいね」
棺のガラスケースに手を触れ、そんな風に言うセフィア=スチュアートに震えはない。
意識もなく、ただただ眠るそのサンタクロースの少女を見つめて『チアリーダー』はこう続ける。
「でも、もう終わる。そなたは私の夢を叶えるのよ」
そう、これで終わり。
『チアリーダー』のセフィアは、仮装してクリスマスイヴを存分に楽しむ下界の輝きなどには目もくれない。ただ己が目的、生きる理由のために手を汚す。
数瞬後には、全てが終わるはずだった。
何もかもにピリオドが打たれて然るべきだった。
だというのに。
「だとしても、その子にも夢があるかもしれない。そんな風には考えなかったのか『チアリーダー』」
芯の通った声が割り込む。
その一等高い建物の屋上、チアリーダー・セフィア=スチュアートの背後から声が響く。
青い瞳に青い髪。アンバランスで似合いもしない赤と白のマフラーと手袋をつけた、仮装もしていない男の子であった。
アイン=スタンスライン。
世界を変える可能性をその身に宿す少年だった。
3
「……そなたがアイン=スタンスラインね。ここに来るかもしれないって連絡が入っているわ」
「『チアリーダー』、セフィア=スチュアートで間違いないな」
雪の積もる屋上で彼らは睨み合う。
どこからともなく響き渡るピアノの音に気付いて、ステラ=サンクチュアを背に庇ったままアインは告げる。
「『ピアニスト』も近くにいるようだけど」
「今は私に集中した方が良いんじゃないかしら」
アインの背に庇われる赤髪ロングのステラの姿を見て、姉妹だという事を悟ったのだろう。セフィアからチリリと肌を炙るような緊張感が噴き出す。
そして同様に、アインからも空気を焼くような視線があった。
「そのガラスケースにも見える棺。サンタクロースからインスピレーションを抽出するためのデバイスかな」
「ご明察よ。ただ生存維持装置も兼ねているから安全は保障されているけどね」
「逆に言えば、保障されているのは安全だけだ。人権は完全に無視されているように見える。君だって分かっているだろう」
「悪いけど会話を楽しみたい気分じゃないの」
まるで蜂を模したような、『チアリーダー』の黒と黄色のスカートから何かが取り出される。
不思議な輝きを放つ濃い青の宝石。
『復元』の糧となるスピリット。
「……戦う気は満々という訳だ」
「ええ、私の幸せと夢のために」
「君の話は聞いたよ、セフィア」
っ、と蜂の『チアリーダー』の呼吸の詰まる音が聞こえた気がした。
気にせずに続ける。
それはナビリア=コペンハーゲンが仕入れてくれた情報だった。
「『ピアニスト』は君の妹。病気にかかった彼女をマルルトが『医師』を派遣して救ってもらった過去がある」
「……人の過去を暴くなんて、あまり良い趣味だと思えないわね」
「済まない。だけど知っておきたかった、君がどうしてサンタクロースを拉致しろというマルルトの命令に従ったのかを」
ガラスケースの中で横たわる意識のないレベッカを遠くから眺めて、アインはずっと握っていた手を広げた。
「それでマルルトに恩義を感じるのは分からなくもない。きっと計り知れないほどの想いがあって、苦悩があって、それでも家族の病気を救ってくれたのがマルルトなんだろう」
だけどさ、と。
そこで逆の意味を示すための言葉を選んだ。
掌の中に収まった、眩しいほどに真っ青なスピリットを冷たい銀世界に晒しながら、まるで嫌悪するかのように彼はこう語り継いだのだ。
「……こんな事をしたら、何もかも台無しになっちまうよ」
それ以上の言葉はなかった。
何かの核心を突かれて叫びを上げたセフィアが、サンタクロースの少女から受けたインスピレーションによって細い剣を形作る。
応じるように、アインも細長い剣を『復元』させる。
そうして、その復元者達は同時に駆け出した。
直後だった。
最初から避けられないと分かっていた激突があった。
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