細い指が、白い洗面ボールから透明な水を掬い上げる。
 手のひらに、ひんやりと冷たさが伝わってきた。
〈トゥ エレス バリエンテ〉
 独り言を呟いた彼女は、仮面をかぶるようにして水を顔に浴びせた。それから彼女はタオルで飛沫を拭い、目の前の鏡と向きあう。母親譲りの赤い髪に、父親譲りの垂れ目。
〈お母さんみたいに髪を伸ばしたら、もっと色気が出るかしら〉
 彼女——クラリス・レイヤーは、秘密結社レイドサイクロンをのリーダーとして皆を引っ張る役割を担っていた。口紅をわずかにつけ、女性としての鎧を身にまとった彼女は、レイドサイクロンの勤めを果たすべく、隣の部屋へ歩を進めた。
 ここはルクシオン東部レバノンの郊外、羊小屋を改造した秘密基地の中だ。

「姫、準備はできましたか?」
 クラリスの気配を察し、白い長髪をなびかせて振り向いたのはアンドレイア。レイドサイクロン立ち上げの前から、クラリスに尽くしてくれている盟友の1人だ。
「ええ」
 クラリスは髪をかきあげながら言う。
「おや、今日も美しいですね」
「ちょっと、やめてくれない?」
〈あなたの方がすっごいかっこいいから!〉
 クラリスは内心で少女のようにはしゃぎながら、冷静を装う。
 目の前には20人のレイドサイクロンメンバーが待機していた。
「これからレイドサイクロンのプロジェクトリバイバルについての会議を行います。議題は組織の拡大に向けた、組織目標のブラッシュアップについて」
 クラリスは凛とした表情で会議を進める。
「今日初めてレイドサイクロンの活動に参加してくれたメンバーもいるから、自己紹介から始めるわね。私はクラリス・レイヤー。ルクシオンの部族ウラノスの長レイアス・プロミネンスとサンスポット・レイヤーの娘です」
 クラリスは深々と頭を下げた。
「14年前に神と呼ばれる存在が現れ、エレメンシア大陸は混乱に包まれました。神はヒトを人間と復元者に分類し、かつての英雄アイン・スタンスラインが築いたつながりを崩壊させました」
 クラリスはかつて自分を家族のように愛してくれた男性の顔を思い浮かべる。自然と笑みがこぼれてしまうのは、14年前の思い出が彼女にとって忘れがたい幸せな出来事だったからだろう。
「エレメンシア大陸の中心に位置するルクシオンは、神の軍勢、人間、復元者の争いの舞台となってしまいました。大津波による混乱もあり、いまや、多数の部族がお互いを尊重しながら暮らしていたルクシオンの面影はありません。特色あった街は破壊され、田畑は荒廃しています。
 それでも私は、自分が生まれ育ったこの土地を愛しています。形は変わってしまっても、両親や友人と過ごした思い出はこの地に残っているからです。皆さんも、そうでしょう?
 私はルクシオンをヒトの争いの輪廻から救い出し、再び特色ある部族の国として蘇らせたいと考えています。そのためには、人間や復元者という枠組みでものを考えるのではなくて、同じ土地で育ったという精神によってつながることが必要です。それができるのはルクシオンの出身者だけです。
 レバノン、贖罪の地。その他多くの部族の聖地を私達の手に取り戻しましょう。それがルクシオンの出身者を集めた、私達レイドサイクロンの役割です」
 クラリスは宜しくお願いしますと、再度深々と頭を下げた。アンドレイアが拍手をすると、それに呼応するように20人のメンバー全員が大きな拍手を彼女に浴びせた。
 拍手が落ち着くと、アンドレイアが片手をあげて皆の視線を集める。
「姫。その美貌も相まって、私達の心に突き刺さる声明でした。士気も大いに向上したことでしょう。
 一点だけ、コメントをするならば。ここにいる20人はあなたと志を同じくするものたちです。あなたがウラノスの出身であり、ウラノスの聖地である贖罪の地の奪還に強い思いを抱いていることも理解しているつもりです。贖罪の地の奪還を、他の聖地の解放と同列に語るあなたの姿勢には敬服しますが。もっと贖罪の地、奪還への個人的な思い入れを語ってくれても良かったと感じました。
 ただ、これは私がウラノスの出身だからでしょう。ルクシオン全土のことを言われると物足りなさを感じてしまう。地方出身者の悪い癖です」
「ありがとう。目的を絞れば絞るほど、特定の人の心に響かせることができる、ということですね。組織の小さいうちはそうした強い結託が必要なのかもしれません」
「とはいえ美しい女性が祖国のために何かをしたい、と言えば。それを助けるのが紳士たる男の定めでしょう」
 アンドレイアは手を胸に当てて敬礼をした。
〈か、過呼吸になりそう〉
 クラリスは彼の態度に崇高さを覚え、胸を抑えた。そして同時にルクシオン奪還の困難を感じてもいた。
〈大きな志を抱くことが小さな集まりに失望を与えるなら、小さな部族の集まりであるルクシオンで、自分はどのような志を抱けばいいんだろう〉

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

ピックアップ記事

  1. ルクシオンがまだ、ユタアース〜内側の世界〜に属していた頃の話だ。 このころルクシオンは、住人か…
  2. プロのイラストレーターの挿絵であなたの作品を一層魅力的にします! プロのシナリオライターがあな…
  3. こんにちは。 橋本橙佳です。 このエントリでは橋本橙佳が様々なクリエイタ…

Twitter でフォロー

ページ上部へ戻る
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。