輪転機を購入したミシェイルは、メルッショルドの平圧印刷業者を巡り始めた。平圧印刷を止めて輪転印刷を行ってくれるパートナーを探すためだ。ミシェイルは、今なら輪転機は無料で貸し出す、印刷業者の負担は紙とインク代のみだというジレットモデル——低額な消耗品に多くの利益を上乗せし、その本体を割安にする仕組みのビジネスモデル——での提供を行った。

平圧印刷業界は体質が古い業界だ。市場を寡占している企業のトップ経営者による鶴の一言で物事が決まり、その方向性から外れた企業は締め出される。誰もが今のままではマズイとは分かっていても、現状を変えるということには抵抗を感じてしまう現状維持バイアスに囚われている。

その牙城を崩すことは困難に思われたが、どこの業界にも風雲児は、いる。ミシェイルのジレットモデルを試してみようという若い経営者が、知り合いの若いジャーナリストを連れて現れたのだ。ミシェイルは彼らと協力して若者向けの情報誌を刷り始めた。価格は平圧印刷業者が刷る雑誌の3分の1だ。これが再び、当たる。

 

平圧印刷業界に激震が走った。

科学産業技術省へ相談を持ちかけたのは老舗の社長だ。

「業界をかき回す若者がいる。輪転機を使用禁止にすることは出来ませんか」

社長は怒気を露わにした様子で言う。

「平圧印刷業界がどれだけの人を雇っていると思いますか。彼らはその構造を破壊しようとしている。このままでは多くの人々が不幸になる」

「社長の仰る通りです。検討させていただきます。業界を守っていきましょう」

フォルスは力強く言った。

***

1ヶ月の後、輪転機を使った新聞が発行されるようになった。平圧印刷業界に喧嘩を売る形で作られたその新聞の名は『輪転新聞』と命名された。新しいことに挑戦する冒険心を持った若者たちが集まり、地域の面白い情報を発信する記事も掲載された。この新聞においては、名のある記者も参加していることが話題になった。

記者たちは、プラットフォームにこだわりはない。ソフトウェア業界は自由なのだ。それこそ平圧印刷業界の格など関係なかった。より早く、より多くの人に情報を届けられる輪転新聞は、記事を提供するだけのメリットは十分ある。もし今輪転新聞に記事を出さないとしたら、それは平圧印刷業界から裏金をもらっているからだ、とまで言われた。

 

科学産業技術省では経営者の嘆き声が聞こえていた。

「フォルス係長、私たちは悲しいよ。若者は先人が築き上げたものを何だと思っているんだ。自分たちだけが儲けようとして…自分勝手なやつらだ。大企業で年功序列で仲良くやれば、みんなが幸せだろう? 違うかね」

「仰る通りです。彼らは実力主義、成果主義を謳い、高い報酬を若者に払っているようです。若いうちはいいですが、そんなハイパフォーマンスを何年も続けられる人員が何人いるでしょうか。大企業であれば年功序列で、年をとっても高い給料をもらえます。解雇もされない。長い目で見れば大企業のほうが生き残ります」

フォルスの言葉に、経営者は深々と頷く。

「そうだろう、そうだろう。やつらは労働者を使い捨ての道具としか考えていない。労働者は人なのだ。その人生を背負う覚悟が企業には必要だ」

そう言った社長の会社は、若者を過酷な労働環境で、長時間、安い賃金で働かせていると輪転新聞が暴いている。

 

2ヶ月後、輪転新聞は新聞業界のシェアを20%にまで延ばした。

老舗の新聞会社も安売りで対抗したが、それは利益の出ない捨て身の戦略だった。新聞会社の社長がフォルスの元を訪れ、ドスの利いた声で言う。

「フォルス係長、何故何も手を打ってくださらないのです。我々はあなた方を訴えますよ。国が不当に、一部の企業へ肩入れをしていると」

「冗談はやめてください。社長。私は何もしていませんよ。省内の会議が滞っていまして、なかなか承認が降りないのです」

「だったら、もっと偉い人間を連れてこい!」

「お引き取りください」

フォルスは丁重にお断りしたが、どうやらこの社長は科学産業技術省のトップである科学産業技術長官へ直訴したらしい。それによってフォルスが、これまでの数ヶ月間、伝統的な織物産業や、平圧印刷業界、新聞会社を守るための手を何1つ打っていないことが明らかになった。翌日、フォルス係長は科学産業技術長官に呼び出された。

「説明してもらえるかね? 何故何も手を打たなかったのか」

「長官。お言葉ですが、手を打つ、とはどういうことでしょうか。私はただ、健全な市場経済を見守っていただけです。今市場を賑わせているのは、メルッショルドを想う若者によって作り出された新時代のサービスです。現状を一言で表すなら、神の見えざる手によって、不要なものが淘汰され、必要なものが残ろうとしている。そう言えるのではないでしょうか」

目をつぶり、フォルスの言葉に耳を傾けていた長官は、穏やかな声色で告げる。

「そうか、わかった。フォルスくん。では君に省庁の選択を伝えよう」

科学産業技術長官はフォルスに懲戒免職処分を下した。

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