第13項 神の見えざる手

ミシェイルの立ち上げたブランド、ミシェルの活躍はメルッショルドに大きな反響をもたらしていた。特に伝統的な織物産業に対しては破壊的な影響を及ぼしていた。

「ミシェルの服に税金をかけてくれないか、このままでは伝統的な織物産業が崩壊してしまう。メルッショルドの文化が失くなってしまう」

ある織物会社の社長は、科学産業技術省産業推進課係長フォルスへ涙ながら訴えた。

「社長、もうしばらく様子を見ましょう。所詮若者が粋がっているだけに過ぎません。すぐにボロが出てきます。社長はもう50年、事業を続けておられるではありませんか。少し勢いのある若者がでてきたくらいで織物産業は崩壊したりしませんよ」

フォルスはそう言って笑い、社長をなだめた。

***

ミシェルが立ち上がってから3ヶ月。ミシェイルはフレアと再びデロメア・テクニカの展示会場を訪れていた。ホームレスがイノベーティブな機械を持ち、世の中を書き換えていく。伝統的な織物とミシェルの服を比べた時、丈夫さは伝統的な織物に軍配が上がるが、安くてお洒落なのはミシェルの服だ。

市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成される。これをアダム・スミスは神の見えざる手だと言った。今メルッショルドの各地で国民がミシェルの服をこぞって買い漁っているのは、効率化することを諦めた伝統的な織物への痛いしっぺ返しであり、人類は進化せずには生きられないという真理を世界に叩きつけたと同時に、まさに神の見えざる手が市場から非効率な存在を締め出そうとしている、そう思えた。

こうなってしまえば、伝統的な織物産業が衰退するのも遠い未来ではないだろう。

「だが、それがメルッショルドの民が出した答えだ」

ミシェイルは誰に言うでもなく、1人呟いた。

「王子〜、これ見てください。凄い機械がありますよ。輪転機って言うみたいです」

フレアが素っ頓狂な声を上げる。ミシェイルは彼女の後ろからその輪転機を見た。

「これは印刷機だな。平圧印刷機よりも随分大きいが、効率は良いのか」

「よく聞いてくれました」

ミシェイルの言葉に反応したのは、再びイシュタル・エルドリッジ。

「またお前か。ゴスロリ店員」

「酷い、酷いです。そんな冷たい目で見ないでください。私はただ、あなたに機械の素晴らしさをお伝えしたいだけなんです」

イシュタルはシュンとする。

「わかったよ、それで。この印刷機はどれくらい効率がいい」

「そうですね、各国に流通している平圧印刷機と比較すると、20倍くらいは効率が良いかと」

イシュタルの言葉にミシェイルは目を丸くした。

「20倍? 何かの間違いじゃないのか」

「いえいえ。これまでの平圧印刷機では紙をセットして、1ページずつ版を押すような仕組みでしたが、こちらの輪転機であれば、紙をわざわざセットする必要がなくなります。印刷しているところを見ると、流れるような動きですよ。それだけでも10倍は効率が良いです。更に言うと鉛版8ページ分を1個の円筒につけて、これを2組つくって表と裏を同時に印刷することが出来ますので、その点も早いですね」

ミシェイルは懐疑心に満ちた目でイシュタルの言葉を聞いていた。

「はう、信じてもらえていませんね?」

「イシュタル、実際に動いているところを見せてやったらどうだ」

涙目になったイシュタルに声をかけたのは、ヴェルセルクの頭領カリアス・トリーヴァだった。1年半前に神が降臨した際、突如現れてエレメンシア大陸の時を止めた超越者であり、人類は皆クリエイターになる必要があると謳い、128の組織で技術分野の研究開発を行うプロジェクトレボリューションを立ち上げたカリスマだ。そして復元者の排斥運動を始め、赤毛は人間ではないと言った張本人でもある。ミシェイルは帽子を深くかぶり、唇を噛みしめた。イシュタルは一転して明るい表情になる。

「そうですね、カリアス様。ではお見せしましょう。輪転機の実力を」

イシュタルは少し調子に乗っているように見えた。だが、一度輪転機が動き始めると、イシュタルが調子に乗ったのも理解が出来る。輪転機の印刷は恐ろしく早いのだ。水が流れるように紙が流れていき、新聞が印刷されていく。

「どうですか? どうですか?」

「イシュタル、そんなに焦らなくても、彼はわかってくれているさ」

カリアスが言うとおり、ミシェイルは輪転機に心奪われていた。彼は輪転機を使ったビジネスを頭の中でグルグルと検討している。カリアス・トリーヴァは彼の隣で、輪転機のスイッチを切った。

「さあ、もう今日は店じまいだ。これからイシュタルとデートへ行き、半導体について語り合うのでね。もし君がこの輪転機が欲しいのだったら、あとわずかなうちに決めてもらえると嬉しい。この輪転機はもうすぐ型落ちになるので、今なら3割引で譲ることも可能だ。価格で言えば3000万を2100万にまけよう。印刷用の紙とインクもサービスでつけることができる。こんな利益を度外視した提案は、最高責任者である私が展示会場に来るときにしか行えないと思うが、どうだね?」

「まあ。技術者に怒られてしまいますよ、カリアス様」

カリアス・トリーヴァは期限付きの選択を迫った。女性と遊びに行くから、店を閉めるとはふざけている。それでもミシェイルは、その好条件に即決するしかなかった。

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