第12項 フェルドシュタイン・ホリオカのパラドックス

1億エレンを手に入れたミシェイルは、デロメア・テクニカへ向かうことをクライアントへ提案した。デロメア・テクニカの最新の機械を見て回り、どの製品を仕入れるべきか見定めるためだ。クライアントもこの提案に同意した。

しかし2人は1億エレンを所持したまま、公共機関を利用して旅をするのは危険だと考えていた。100万200万の札束であれば平静を保てるが、1億エレンではそうもいかない。周囲を見回すなどの不審な行動が、スリを引き寄せてしまう。

彼らは幾つかの銀行に分けて預けることも話し合った。この金を失うリスクは少しでも減らしたいと考えたからだ。そうすると各行への預け金は、金融機関が破綻しても支払いが保証されているペイオフの値に留めるべきだ。メルッショルドの銀行のペイオフは500万エレンなので、つまり20の銀行に分けて預ける必要があるということになる。同じ銀行に2人でそれぞれ口座を作ったとしても10を巡る必要がある。

「ダメだ、クライアント。銀行を跨ぎすぎるとデロメア・テクニカで欲しい機械があった時に、金を用意するのが遅くなる。やはり持ち歩こう」

2人は専属の馬車を雇い、デロメア・テクニカの旅を共にすることを決めた。彼らが捕まえた御者は、濃い緑色の髪をした美しい女性だった。名をフレア・アテネという。まだ20歳位の女性だ。

「それでも操縦の腕には自信がありますよ。操縦歴は、ヒミツです」

フレアは言葉の通り、華麗に馬車を操ってみせた。2人は彼女を信用し、デロメア・テクニカへの道案内を任せることに決めた。フレアはミシェイルのことを王子と馴れ馴れしく呼ぶことを好み、クライアントはそれを見てよく笑った。

 

デロメア・テクニカでは、ヴェルセルクという組織の運営する展示会場を訪れた。もちろん入館の際、赤い髪の毛は束ねて帽子を深く被っている。そこでは多くの最先端の機械に出会うことが出来た。転炉、クーラー、輪転機、ミシン、キネスコープ、白熱灯、何よりも凄いのは誘導発電機と呼ばれる発電機だ。トルクが止まることなく回り続けているのは、電場と磁場の絶妙なバランスのためだと聞いても、ミシェイルにはピンとこなかった。だがこの誘導発電機が持つ可能性は感じることが出来た。

「この発電機はいくらだ?」

ミシェイルは脇に控えるゴスロリ姿の女性へ尋ねた。

「誘導発電機に興味があるのですか?見る目がありますね。まずは籠型誘導モーターの原理から説明しましょうか。籠型誘導モーターは」

「いや、買うとしたら幾らなのかを聞いている」

女性は寂しそうに肩を落とした。この女性が誘導発電機の開発者であるイシュタル・エルドリッジだとは誰も気づくまい。

「2000万エレンになりますね。まだ売り始めですから、量産できていないのです」

「わかった、これを買おう。それから電動ミシンをくれ。クライアント、俺達は服屋をやるぞ。人間の基本は衣食住だ。そこにアプローチできる商品は必ず売れる」

ミシェイルには経営のセンスがあった。確かにメルッショルドの衣料品は、まだ主に手工業で生産されている。富豪たちは、自分たちがどれだけ手の込んだ高価な服を着ているかを自慢し合っている。一方で庶民は、めったなことでは服を買い換えることが出来ない。服が破れたら自分で縫って、ボロボロになるまで使いこんでいる。

「王子、素敵ですね! 私も御者をしながら皆の服を見ていて、こんな服があればいいのにと思うことがあります。一度デザインさせてもらっても良いですか?」

フレアは楽しそうに、ミシェイルの夢を膨らませた。そして冗談のつもりで彼女にデザインをさせてみたら、男性目線で見ても着てみたいと思える、適度に緩いデザインの服に仕上がっていた。ミシェイルはこの服が若い男女に売れることを確信する。

 

メルッショルドへ戻ったミシェイルは、メルッショルドの北部に工場を構えた。綿、絹、麻の流通を確保すると同時に、誘導発電機で稼働できるだけの電動ミシンを購入して工場へ並べた。第一弾では、フレアによって5種類の服がデザインされた。あとはそれらの服を生産するための労働力が必要だ。これについてはクライアントの協力を得て、しあわせの村の村民を労働者として雇うことで解決した。ミシェイルが『村民も本当は経済活動に参加したがっている』と指摘した通り、彼らは過酷な労働条件下でも働くことを了承してくれた。ここまでたった2ヶ月しかかかっていない。

 

ミシェルというブランドが立ち上がった。デロメア・テクニカからも安い衣服が入ってくる中、彼らはメルッショルドの産業を守るため戦い始めた。今のデロメア・テクニカは、パックス・ブリタニカと呼ばれ、世界の工場と呼ばれたイギリス帝国の最盛期より勢いがある。しかしミシェイルは衣食住という人間の最低限の欲求を満たすための産業が、他国に侵略されるのを黙ってみていることはできなかった。

電動ミシンを使って大量生産された衣服は、しあわせの村の村民によって行商され、メルッショルド中に売り歩かれた。メイド・イン・メルッショルドを謳ったこの商品にはフェルドシュタイン・ホリオカのパラドックスを見出すことが出来る。

つまり国内貯蓄と国内投資の間に強い相関関係があるということだ。グローバル化が進んでも、国内資本は自国市場で吸収される傾向が強い。つまり隣国に良い商品があったとしても、自国の商品を応援するという心理が働くのだ。

ミシェイルはメルッショルドの国民に後押しされ、わずか1ヶ月で1000万以上の売上高、200万以上の粗利益を上げることになる。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

ピックアップ記事

  1. ルクシオンがまだ、ユタアース〜内側の世界〜に属していた頃の話だ。 このころルクシオンは、住人か…
  2. 59736578-19f0-4460-a22b-36c70aa80895
    プロのイラストレーターの挿絵であなたの作品を一層魅力的にします! プロのシナリオライターがあな…
  3. 59736578-19f0-4460-a22b-36c70aa80895
    こんにちは。 橋本橙佳です。 このエントリでは橋本橙佳が様々なクリエイタ…

Twitter でフォロー

ページ上部へ戻る
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。