第9項 リスク要因と恐怖

ミシェイルとクライアントはメルッショルド領グルジアのスラム街を目指して走っていた。ミシェイルによれば、ゴッズ・ヴァルスという仮面の男が、そのスラム街を牛耳っているという。

「よく誤解されているが、俺の父親アルネスト・リークラクは裕福な育ちではない。父はグルジアのスラム街で生まれ、金貸しの親に育てられた。よく子供の頃聞かされたのは、グルジアのゴッズ・ヴァルスの話だ。金貸しの業界では有名な男で、一度貸した金はどんな手を使ってでも回収するという」

「君のお父さんが子供の頃に聞いた話とすると、一体ゴッズ・ヴァルスは何歳なんだ」

「さあな。一説では同じ仮面を何人かが被っていて、ゴッズ・ヴァルスというのは組織の名前だと聞いたことさえある。だが今は、そんなことはどうだっていい」

ミシェイルは右足で地面を強く踏みしめた。

「俺とお前、2人のホームレスがこれから1億エレンを借りようと言うんだ」

「普通の発想じゃないぞ、1億エレンの借金なんて」

クライアントは十字を切った。彼は特に宗教を信じてはいないが、このあたりでは十字を切ることで神に祈るスタイルが継承されている。

「どれだけ少なく見積もっても、運転資金として1億エレンは必要だ。しあわせの村の人間たちを無料で働かせるならもっと安くてもいいが、そんな奴隷のような生活を強いるのは酷だろう」

「驚いたな、君ならしあわせの村の住人を奴隷のように働かせると思っていた」

「俺はいつだって最大多数の最大幸福を求めているさ」

ミシェイルはベンサムの言葉を借り、誇らしげに笑った。

 

2日後のことだ。グルジアのスラム街へ入り込んだ2人は、その土地の異様な雰囲気に心を奪われた。女は身体を売り、男は当たり前のように盗みを働く。あたりにはホームレスが寝そべっており、顔の潰れた子どもを抱え物乞いをする母親も見られた。出店の衛生状態は悪く、食器を洗った水を取り替えずに、何度も再利用している。

「今日を生きるという、最低限のことしか考えられない生活にならざるをえないな」

ミシェイルは呟いた。この土地では誰ひとりとして未来のことを考えられない。だとしたら、その土地に未来はないと言えるのではないだろうか。

「ミシェイル、スラムに来たのはいいが、どうやってゴッズ・ヴァルスに会うつもりだ?」

クライアントの質問はもっともだ。しかしミシェイルは既に方法を考えていた。

「金貸しに殴り込みを仕掛ける。そうすれば上手く行けばゴッズ・ヴァルスを紹介してもらえるだろう」

「君は、正気か?! バラバラにされるかもしれないぞ」

「その時は、それまでの男だったということだ。やるしかないだろう」

ミシェイルの目はギラリと輝いている。クライアントは、もうどうにでもなれと頭を真っ白にした。

***

「なんじゃこらあ!ふざけてんのかボケェ!」

ミシェイルは慣れた様子で金貸し屋のドアをぶち破っていった。

この金貸し屋は、まだ出来て間もないらしく、店内は綺麗に整えられている。

「今月のみかじめ料はどうした!!3日以内に払わねえようなら、この店潰すぞ!」

ミシェイルが店中に響き渡る絶叫を上げると、店番をしていた豚のような男が首をボキボキと鳴らしながら出て来る。

「なんだこら、人の店のドアぶち破っといて何切れてんだ?こちとらみかじめ料はきちんとゴッズ・ヴァルスに払ってんだよ」

「お前、本当にゴッズ・ヴァルスへ払ったんだろうな?」

ミシェイルは豚のような男に対し、一歩も引かない。

「言えねえのか、この豚がああ! てめえ金貸しを敵に回すってのがどういうことかわかってんのか? てめえが金払ったゴッズ・ヴァルスは偽物だあああ!!」

「ちょっと待て、も、もしかして本当にそうなのか?ここにゴッズ・ヴァルスのアドレスがある。本当に払ったんだ、確認してみてくれ」

豚のような男は急に静かになり、小刻みに震えだした。ゴッズ・ヴァルスの縄張りの中で、みかじめ料を払わなければどんな悲惨な目にあうか、金貸しなら皆わかっていた。そして同時に、ゴッズ・ヴァルスを語った場合にどんな悲劇が訪れるかも心得ている。自分が海に沈められるだけではなく、家族の身体を切り売りされることだってあるという。だからゴッズ・ヴァルスを語るような人間は現れない。金貸したちはそう確信していた。

ミシェイルはその幻想を利用してゴッズ・ヴァルスの部下を装い、アドレスを手に入れたのだ。こんなことは金貸しに精通している人間でなくては思いつかない。

「なあミシェイル、私たちは物凄いリスクを冒しているのではないか?」

「当たり前だ。ホームレスが1億エレンを元手に国を変えようと言うんだ。もう後戻りはできないぞ。生きるか死ぬかだ」

ミシェイルは自由主義経済社会に似つかわしくない言葉を吐きながらも、生き生きとしている。人は、自分ではコントロールできないリスク要因をひどく恐れるという。クライアントは、ミシェイルのやろうとしていることを自分事として捉え、リスクを自らもコントロールすることを誓った。

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