ここはしあわせの村。

既にクライアントがミシェイルの靴や服を褒めてから7日が経つ。

 

「クライアント、何故あいつらは非効率さを受け入れている?」

ミシェイルはしあわせの村で農業に勤しむ人々を指差していった。

「さっきから1時間も雑草をむしっている。除草剤を使えば済むのに、何故使わない」

「ミシェイル、それがロハスというものだ。我々は健康と環境、持続可能な社会生活を心がける生活スタイルをロハスと呼び、心がけている。

もちろん、除草剤を使えば環境破壊につながるなどとは、簡単には断言できない。例えば除草剤を使わない農家は、除草剤を使う農家より収穫量が少なくなる事実がある。それはつまり必要な食料を確保するためによりたくさんの農地面積が必要になるということだ。全ての農家が除草剤を使わなければ、今よりも環境破壊が広がることになる。全てはバランスが大事だ。

しかし、何のためらいもなく除草薬をまき、殺虫剤を使う農家より、我々のほうが環境について深く考えていることは事実だ。我々は、金を稼ぐことが正義ならば他人の生命など知ったことではないとは考えない。自然万物とともに生き、持続可能な生活を目指している。全てはロハスだ。実際に、君は非効率と言ったが、ああして雑草抜きをしている人々は、風邪1つ引かない。体を動かすことが予防医学も兼ねているんだ。オフィスでダラダラと仕事をしている公務員よりもずっと健康だ」

クライアントは朗らかに笑った。

ミシェイルは、土がついて汚れ始めている靴に視線を落とし、それからクライアントを見上げて力強く言う。

「お前が言っているのは綺麗事だ。何がロハスだ。農業自体が環境破壊なんだ。人間が生きていること、それ自体が環境を破壊している。この事実を受け入れない限り、お前の言葉は空虚なものでしかない」

「ミシェイル、何が君をそんなに駆り立てるんだ?この村ではセカセカと生きる必要は無いんだよ。自由主義経済に戻るための種銭も無い。我々は自由主義経済で負けたんだ。そこに執着しても何も生まれないよ」

クライアントは持っていた絹の手ぬぐいで、ミシェイルの靴を拭き始めた。

「君は母親から貰った靴や服をもっと大切にするべきだ。この村ではもう、こんな上等な靴は入手することができないのだから」

「靴など、汚れたらまた買えばいい」

ミシェイルの言葉に、クライアントはピクリと眉を動かす。

「ミシェイル、今の発言は取り消せ」

クライアントはスックと立つと、真顔でミシェイルを見下ろした。

「その靴にはお前の母親の愛が込められている」

「ようやく感情を出したな、クライアント」

ミシェイルは不敵に笑った。

「お前は恋人に与える指輪や花束やチョコレートは、現代資本主義社会の資本家が売りたい商品だと言った。ならば母親が俺に与えた靴も、単なる商品に過ぎないはずだ。だが何らかの感情が、お前にこの靴を母親の愛だと錯覚させている。お前はおそらく、母親から物を与えられなかった子どもだ。それこそ貧しい場所に生まれ、その中で母親の僅かな稼ぎで買ったチョコレートや花束に愛を感じていた」

「子どもが、わかったような口を利くな」

「いいや、利くね。俺はまだ無邪気な少年だから、限度など知らない。お前は大人になって、自由主義経済に救いを求め、金を稼ぐためになんだってやっただろう。少しずつでも豊かになり、母親にプレゼントを送ることも出来た。だがお前は気づいたんだ。どんなに物を買っても、それは愛じゃないと。そこに愛はないと気づいたんだ。お前は物を買うことでしか愛を表現できない自分に絶望した。愛し方がわからないことを、自由主義経済のせいにした。だからこんな馬鹿なことを始めたんだ」

ミシェイルは推論をまくし立てた。クライアントはその言葉を静かに聞き、それから何とも言い表せないほどの悲痛で、悲しげな苦笑をして言った。

「半分は当たっているよ、ミシェイル。私は母親から物を与えられなかった子どもだ。貧しい頃に物が欲しくて、欲しくてしょうがない子どもだった。大人になって、経済的に自由を得て、私は母親や恋人に物をプレゼントすることができるようになった。誕生日、バレンタイン、私は記念日が来る度にケーキやプレゼントを買っていた。

それでもいつしか私はね、そういった行為に飽きてしまった。形だけのお祝い、お祝いが仕事のようにつまらなく感じた。そんな空虚な劇に何の意味がある? そう感じながら毎日を過ごしていたよ。月日が経って、私はついに恋人へ結婚指輪を購入した。けれども私は、恋人にプロポーズする際ですら、劇を演じていたのだろう。恋人は私の差し出した指輪をつかむと、窓から放り投げた。冷血だと、社会的体裁のために仕方なく結婚したいふりをしているのだろうと、罵られたよ。私にはそんな気は微塵もなかったのにね。私はただ、愛という感情を知らなかった。それでも彼女を愛したいと願っていた。だから皆が愛を表現する際に行っていることを真似したにすぎなかった。彼女は涙を流しながら、私の前を去ったよ」

2人の間に沈黙が降りる。クライアントは曇り空を見上げる。

「どうだ、惨めなものだろう。それでも私は愛を知るためにあがいている」

彼はまだ愛を見つけていない。まだ彼は虚無の中にいる。ミシェイルは声を荒げた。

「クライアント、求めろ」

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