第4項 循環システム

デロメア・テクニカに端を発したイノベーションの波は、メルッショルドヘ押し寄せていた。例えば輪転印刷機だ。この機械は、版を巻きつけた円筒に紙を押し付けることで印刷する形式の機械で、これまで主流だった平圧印刷機の20倍の速度で印刷ができるスグレモノである。

新聞輪転機の場合は、鉛版8ページ分を1個の円筒につける。これを2組つくって表と裏を印刷することで、1回転すれば16ページ新聞ができる仕組みだ。後は裁断すれば馴染みのある新聞のかたちになる。

デロメア・テクニカでは、カリアス・トリーヴァとガストン・レオパルドによってこの輪転機が開発されてから、20倍の速度で人々に情報を届けることが出来るようになった。それこそ午前中にデロメア・テクニカの首都で起きた出来事を、午後にはデロメア・テクニカ全土に伝えることが出来るようになった。

 

アイン・スタンスライン時代の末期、人々はテレビジョンという通信機器によって現場の情報をリアルタイムで受信することができた。しかしその通信網も、神の降臨、人間と復元者の対立の果てで壊れてしまい、今は使うことが出来ない。結果として紙媒体が再び情報伝達の最前線に戻ってきた。

そんな時代において、20倍の速度で情報が伝達できるということは、圧倒的な優位をもたらす。既にメルッショルドの北部に住む人々は、メルッショルドの南部から発行される新聞ではなく、デロメア・テクニカから発行される新聞のほうが早く届く。

それでもメルッショルドの政府は、自国民が隣国から輸出される新聞を読むことを良しとはしなかった。政府はデロメア・テクニカの新聞に高い関税をかけ、価格を操作している。メルッショルド内の伝統的な平圧印刷業界を守るためだ。それは平圧印刷機の販売業者だけではない。機械に部品を提供する会社や、紙、インクを提供する会社、版の制作会社まで多岐に渡る。こういった伝統的な産業構造が、革新的な技術の導入を踏みとどまらせている。

もし新聞会社が輪転印刷機を導入すればどうなる。メルッショルド内に技術蓄積がされていないのだから、紙やインク、輪転印刷機に渡るまで、デロメア・テクニカから購入する必要があるはずだ。そうなればこれまで平圧印刷機を作っていた企業は倒産し、その企業に部品を提供していた企業や紙・インク・版を提供していた企業も倒産するだろう。革新的な技術にはそれだけの破壊的な力がある。

メルッショルドの政府はそれだけの人々の仕事を奪う危険性を恐れ、新聞会社に伝統的な平圧印刷機での印刷を要求している。新聞会社が革新的な技術を取り入れたくても、国家がそれを許さないのだ。

この先に見えているのは、デロメア・テクニカの新聞会社がメルッショルドのメディアを独占していく未来だ。安くて早い海外のサービスによって国内の遅れたサービスが駆逐されていく未来だ。

だが、メルッショルドの国家公務員は、そんな未来など頭にない。メルッショルドの科学産業技術省、産業推進課係長フォルスは、取引先の社長へつぶやく

「わかりました。税金でなんとかしましょう」

茶色い口ひげを生やしたダンディな男だ。

わずか33歳で係長に昇進したフォルスは、省の中でも指折りのエリートだった。省の中で出世していく人間は、並大抵の人物ではない。数百人の同期の中から突出していくための戦略、実行力、問題解決能力。溢れる才知を最大限発揮して初めて、省の中で一目置かれる存在になれる。さらにいえば、エリートは1度のミスも許されない。道を踏み外す事は許されないのだ。レールの上を誰よりも早く、正確に走ることが出来る、それこそが省で出世していくための方法論だ。

フォルスにとって国政は、答えのわかっている問題を解くに過ぎない。例えば今日は、国内一の大型平圧印刷機会社の社長が今年度の売上減を恐れてフォルスに相談を持ちかけてきた。こういったケースでは、国内企業を守るため、外国の格安製品に多額の関税をかけ、さらに国内企業に対しては多額のパンフレット・ポスター作成を依頼することで平圧印刷業界の売上を確保する。もちろん財源には国民の税金を使う。それが数年前から当たり前のように取り組まれてきたことだ。

 

国民が税金を収め、国家はその税金を民間企業に流し、流した金が国民に支払われる。金は循環して市民に還元されるわけだから、どこからも文句は出ない。これがメルッショルドのGDPを支えてきたシステムだ。

国家が民間企業に仕事を依頼する際には、高くても国は痛くも痒くもないから、民間企業間で談合も起きている。だがそれが黙認される。ある民間企業の社長などは、民間の仕事じゃ儲からない、国からの仕事がしたいと愚痴をこぼしているそうだ。

『腐っている——』

フォルスももちろんそれを感じていた。しかしメルッショルドの国政の中央にいるからだろう。このシステムの圧倒的な巨大さ、誰もが幸せになる仕組みに異を唱えることはできずにいた。

『唯一この状況を破壊できるとすれば』

彼は隣国で起きている破壊的なイノベーションを思い浮かべる。イノベーションはいずれメルッショルドを飲み込んでいくだろう。だがメルッショルドの中央から見れば、この国の新陳代謝はあまりに遅い。そう考えたのは、彼自身が変化を嫌う体質になっていたからかもしれない。この国がイノベーションを受け入れるタイミングはまだ数年後だろうと、彼はそう目測していた。

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