しあわせの村に入村した2人は、まず村を俯瞰できる丘を目指した。丘まででも500ベルトはあるだろう。ウォール街の隣にこのような広大な土地が残されていたことにミシェイルは驚いていた。2人は丘から吹き下ろす風に抵抗しながら歩き、しばらくして頂上へたどり着いた。村の敷地を見下ろせる位置で、クライアントは村の仕組みについて語り始めた。

「この村では持続可能な経済の実現を心がけている。食べ物はもちろん、住宅や衣服なども全て村で採れる植物や動物を使って、出来る限りの生活をしている。3ヶ月毎に物資の管理を行い、本当に余剰の物資については街に販売へ行き、そのお金で医薬品や娯楽品を購入する。さっきミシェイルに飲ませた飲み物も街で購入した医薬品で、ヒトの体液に近い組成の生理食塩水だ。普通の水とは味が違っていただろう?」

ミシェイルはクライアントに言われて始めて、先ほど飲んだ水の味を意識し始めた。あの時は一心不乱に飲んでいたから、味など意識する余裕がなかった。今にして思えば、確かに少し甘みがあったように思う。

「この村には何人ぐらい人間がいるんだ?」

「100人だ。村の広さは50ヘクタール。1ヘクタールあたり2人を養う計算だ」

「これだけの広大な土地に100人だと? ウォール街の人間が放っておかないだろう。ウォール街の近辺の土地といったら、いくらでも買い手がつく。何故お前たちはこの土地を売って金持ちになろうとしないんだ?」

ミシェイルの問に、クライアントは真剣な表情で答える。

「それは偽りの愛でしかないからだ。そもそも人間は、自分たちの食べ物や暮らしに関するものを全て自分たちの手で作っていた。自分のために労働する、それが人間の本来の生活手段だろう。

しかし産業革命が起こり、作業工程を細かく分けて単純労働にしたほうが効率的に物が生産できるという理由で、分業スタイルが広まっていった。産業は大規模化、組織化され、いつの間にか人々の労働は、自分のための労働ではなく、資本家のための労働へと変化していった。結果として生まれたのは、低賃金で働く労働者と、彼らから搾取する資本家からなる階級社会だ。メルッショルドの街々など、その最たるものだろう」

クライアントは眉間にしわを寄せて、哀しそうに話した。

「ベルトコンベアーの前での低賃金の単純作業と化した労働に、どんな喜びやプライドを見いだせる? 人間は機械の歯車と同じように、取り替え可能な存在に成り下がってしまった。

現代資本主義下の人々は、まるでロボットのようだ。つまり大人数で円滑に協力し、単純労働や搾取に何の疑問も持たず、ほかからの影響を受けやすく強い消費意欲を持つという。経済社会が機能していくために都合のいい存在に仕立てられている。

俺が思うに、今やすべての価値の中心に金とモノがあり、人間は経済という巨大な渦の中に、知らず知らずのうちに巻き込まれているだけの存在になってしまっている。

恋人に与える指輪や花束やチョコレートは、現代資本主義社会の資本家が売りたい商品だ。我々はいつから商品を愛の形だと認識するようになってしまった?」

クライアントは両手を広げた。

「ミシェイル。君にもいずれわかる日が来るだろう。この世界は間違っていると」

「悪いが俺はお前を理解することはない」

ミシェイルは強く言った。

「何故だミシェイル。俺の言ったことは間違っているか?」

「例えば」

ミシェイルは村のあちこちで眠りこけている人々を指差した。

「彼らは何を生き甲斐に生きている? 漫然と時を過ごし、人生を浪費するだけか」

「ミシェイル、つまり?」

「向上心の無いものは、生きている価値がない」

ミシェイルの言葉に、クライアントは目を見開いた。そして苦笑する。

「ミシェイル。俺も昔はそう考えていたよ。休日を勉強に費やし、長い時間働き、好きでもない人間との人脈を求める。日々はその繰り返しだった。

しかし、その結果どうなっただろうか。君も資本主義経済からのはみ出し者だ。こういった経験はないだろうか。遊びたい思いを抑えて勉強し、早く帰りたい気持ちを抑えて長時間働き、好きでもない人間に媚びへつらったことが。

あるならば、どうだ。その行為は最悪の結末をもたらしていないか。自尊心が次第に失われ主体性を失い、ペルソナを纏うことで自分ではない誰かになろうとしなかったか。そんな自分が嫌いではなかったか」

クライアントの問に、ミシェイルも息が上がる。

「それでも、現状維持では人間は衰退していくだけだ」

「その理論は自然主義経済の中では間違っている。自然主義経済では、人々は自分のために労働する。周りから押し付けられた価値観など考える必要はない。1日を過ごすだけの食べ物と水があれば、後は好きに生きればいい」

「好きに生きるためにも、道具が必要だろう。楽器も画材も、手に入れるために金が必要なはずだ」

「自然がもたらしてくれるものもある。例えばオカリナは粘土から、絵の具は植物から作ることが可能だ。人間はそうして何もかも自分のために作り出してきたんだよ」

クライアントは笑った。ミシェイルは奥歯を噛み、彼の話を聞いていた。

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