メルッショルドのウォール街から少し離れた場所に、狭いあぜ道があった。

隣接する山へ続くこのあぜ道は、昼間でも薄暗く、人気がない。目下に広がる摩天楼の賑やかさと対象的に、寂れ、静寂に包まれている。おそらくウォール街の生活に絶望したものが、最後に辿り着く場所なのだろう。あぜ道の左右には、白骨化した死体も転がっている。

 

この日、1人の少年がそこへ迷い込んだ。年齢は17、8歳だろう。まだ幼さの残る彼は、艶やかな赤い髪と黒いジャケットをなびかせ、あぜ道へ吸い込まれていく。この少年もまた、ウォール街の生活に絶望したのか。

「待て、少年」

赤い髪の少年に話しかけたのは、背の高い細身の男だ。この男は麦わら帽をかぶり、籠を背負っている。

「俺はクライアント・ディスローズ。まだ死ぬのは早いぞ、考え直せ」

少年はクライアントを一瞥すると、何も言わず振り返りあぜ道へ足を踏み入れた。

「おい、聞いているのか?」

クライアントが低い声で言う。少年はふらり、と脇の大木にもたれかかった。

「俺は所詮、愛されていない子どもだ」

少年は言うとその場に座り込んだ。クライアントは慌てて少年に駆け寄る。少年はゼエゼエと肩で息をしていた。

「ずいぶん衰弱している」

クライアントは背負っていた籠を隣に置くと、そこから木製の瓢箪を取り出して少年の口に水を含ませた。しかし少年はその水をぺっと地面へ吐き捨てた。

「俺に情けをかけるな」

少年はギラついた目で言った。クライアントは目を丸くし、それから哀しそうに目を細めて、眉をハの字にする。

「どうすればこの水を飲んでくれる?」

「この国は資本主義の国だ。金さえ払えば何だって買えるんだろう」

「・・・ああ、そういうことか。施しは受けないが、対価を払っての購入はすると」

少年はポケットからくしゃくしゃになった紙幣——200エレンを取り出した。

「これで足りるだろう」

少年の傲慢な態度に、クライアントは意地悪な表情をして言った。

「君も資本主義について見識があるなら、需要と供給によって価格が変動することは知っているだろう? 砂漠の水はダイヤモンドよりも高いのだよ」

「足元を見るのか」

「ふふ。君はこの後、行くあてはあるのか?」

クライアントの質問に少年は首を振った。

「ならばこうしよう。この水は俺が労働の対価に入手したもの。もし君がこの水を飲むなら、その対価として労働を払うというので手を打たないか。俺の村がこの先にある。君はそこで俺達と一緒に働く」

少年は少し悩み、瓢箪を手にすると一心不乱に飲んだ。そして啖呵を切る。

「俺は受け取った対価以上のことはしない」

「威勢が良いな。しかし、契約は成立したぞ」

クライアントは籠を前に持つと、ふらつく少年を背負って、あぜ道を下り始めた。舗装されていない、落ち葉に埋もれた山道がどこまでも続く。竹林のトンネルを抜けるとそこには、拾い棚田が広がっていた。

「驚いたか?」

クライアントは少年に語りかける。

「ウォール街の隣にこんな自然が広がっているなんて、考えもしないだろう。スーツに身を包み、札束に顔を埋めて笑っている資本家の隣で、こうした原始的な生活を営んでいる者がいるのだよ」

彼は強い口調で言う。少年は自らの足で立ち上がり、草原に足を踏み入れた。

「心地よい空気が流れている」

「ここはしあわせの村。自然主義経済に基いて運営される村だ」

「自然主義経済?」

「そうだ。考えてもみてほしい。俺達自身も含めて、自然万物は時間と共に朽ちていく。それにもかかわらず資本主義の世界では貨幣は朽ち果てることがなく、それどころか利子によって貯蓄されたものは増殖していく。貨幣によって購入した物質の価値は下がるのに、貨幣の価値は下がらないのだ。

この矛盾が世界の矛盾を創り出していると思わないか。

人々は少しでも多く貨幣を獲得し、所有し、貯留し、増殖させることが幸福だと錯覚している。金を稼ぐことが正義ならば、他人の生命など知ったことではない。詐欺が横行し、騙される方が悪いという風説まで出る始末。今日まで己の地位を高め、金を手に入れることのみに明け暮れた企業家がこの国を支配してきた弊害だ」

この国メルッショルドは、国内に200以上の企業によって経営される街が存在し、時価総額の最も高い企業のオーナーが国王となる。クライアントはその仕組に反逆を企てている。

「さあ教えてくれ。しあわせの村の新入生。君の名前は」

「ミシェイル。ミシェイル・グドウィンだ」

ミシェイルと名乗った少年は、クライアントの言葉を決して許容できなかった。

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