第1項 消えた世界の果て

ルクシオンがまだ、ユタアース〜内側の世界〜に属していた頃の話だ。

このころルクシオンは、住人から浮遊大陸と呼ばれていた。四方には眼下に雲が広がる巨大な崖がある。ひとたび足を踏みはずせば、叫び声を上げる間もなく、世界から消えてしまう。人々はそれを『世界の果て』と呼び、恐れた。

 

浮遊大陸の上に国という体系は無い。人々は『世界の果て』に近づかぬよう、小さな集落に居を構え、独自の文化を築いていた。ある山にはマチュピチュのような古代遺跡が、ある高原にはバールベックのような神殿が創られ各部族の聖地として崇められている。

中でも、贖罪の地と呼ばれるアンコールワットに似た遺跡は巨大だった。贖罪の地は『ウラノス』と呼ばれる部族の聖地であり、『ウラノス』に属する多くの人びとが訪問し、祈りを捧げていた。

 

この物語の主人公エスカリョーネは、『世界の果て』に最も近い集落で生まれ育った女の子だ。その集落は『ウラノス』の治める地域の僅かに外であり、どの部族にも属していなかった。日々の暮らしは自給自足が原則であり、エスカリョーネも、狩りや山菜採りといった仕事を任されていた。

 

「お母さん、行ってきます」

エスカリョーネはこの日、山菜を取るべく村のはずれに向かうことにしていた。目的地は『世界の果て』のすぐ近く、彼岸の森を越えたところ。

「はーい、そうだ。エスカリョーネ、ちょっと待って」

母親はエプロンで手を拭いながら、エスカリョーネを呼び止めた。母親はポケットからアゲハチョウを模した髪留めを取り出すと、エスカリョーネの横髪を手際よくまとめて、そこに取り付けた。

「うん、よく似合う。お母さんとお父さんからです。お誕生日おめでとう」

奥の部屋で、本を呼んでいた父親も手を振った。

「わぁー!ありがとう!」

エスカリョーネは瞳をわずかに潤ませながら言った。

「お父さん、お母さん、大好き!」

エスカリョーネは奥の部屋に飛んでいって、父親に抱きつき、それから洗面所で鏡を見て満足そうに頷くと、母親に抱きついた。

「うん、可愛い!行ってきます!」

エスカリョーネは元気よくドアを開けて外へ飛び出した。

(嬉しいな、大好きなお父さん、大好きなお母さん、ありがとう)

エスカリョーネはニヤニヤを抑えきれないまま、走り続けていた。

(でもでも、今日は私からもプレゼントがあるんだよ。私を大切にしてくれる2人にプレゼント。ふふ、喜んでくれるかな)

エスカリョーネは彼岸の森にたどり着くと、周囲に生えている山菜を採り始めた。今日の夜ご飯は山菜鍋だ。家族の団らんがエスカリョーネの脳裏に浮かぶ。彼女は手際よく作業を終えると、採取した山菜をハンドバッグに入れた。

お昼時、母親の用意してくれたパンをお腹に入れると、彼女はさらに歩いて森を越え、その先にある花畑へ足を踏み入れた。

(世界の果てが見渡せる、このお花畑。私の隠れ家)

エスカリョーネは花畑に腰を下ろすと、そこに咲いていた白い花を摘み、花冠を編み始めた。彼女は手作りの冠を両親にプレゼントすることを考えていた。

 

どれほど時間が経っただろう。彼女はふたつ目の花冠をほとんど作り終えていた。世界の果てに目をやると、雲が穏やかに流れている。エスカリョーネは、このように穏やかな日常を過ごせることに感謝しながら、花冠作成の最後の仕上げに入った。その時だ。

ゴゴゴ、ゴゴゴ

突如世界に異変が起こった。浮遊大陸全土が揺れている。最初は気のせいと思うほどの小さな揺れだったが、それは次第に大きくなり、立っていられないほどの大地震があたりを襲った。

「きゃあ!」

エスカリョーネは、座っていながらも大地震にバランスを崩し、その場に倒れこんだ。

「何?何?」

ドドドドド! ドドド!

巨大な振動が2度、あたりを襲い、そして止んだ。エスカリョーネはあたりを見回した。あれだけの大地震だったにも関わらず、森の木々は倒れていない。エスカリョーネは不審に思った。しかし森に影響がないことは、次の瞬間に忘れていた。遥かに異常なことが目の前で起きていたからだ。

『世界の果て』がなくなっている。

「え?私さっきまで、『世界の果て』の側にいたよね」

エスカリョーネの目の前には、陸地が続いている。彼女が呆然と陸地を眺めていると、そこに人影が浮かび上がった。エスカリョーネは何が起こっているのかを聞くため、その人に声をかけようとした。しかし。

「あの、え?」

そこに現れたのは、牛の頭をした3ベルトはある巨人だった。

「あ、あ、」

エスカリョーネは口をパクパクと動かしながら、震える足を何とか動かし、彼岸の森に向かって走りだした。

(お母さん!お父さん!お母さん!お父さん!)

彼女は泣き叫びたい気持ちを抑えて、巨人から離れていく。だが、巨人もそれに気づき、ゆっくりとエスカリョーネを追いかけてくる。

(嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!・・・!)

エスカリョーネはこのとき、自分の落ち度に気づいた。花冠を忘れている。

(何やってるの、私!)

彼女は自分に失望した。失望し怒りを抱きながら、しかし花冠を諦めることの出来なかった彼女は、危険を顧みず花畑に戻ることを考えた。彼女は森のなかで進路を変えると、大木の陰に隠れた。巨人はゆったりと歩を進めてくる。エスカリョーネは息を潜めて巨人の通過するのを待ち、できるだけ足音を立てないよう、元の花畑に戻った。しかし花畑には、踏み潰された花冠が残されていた。エスカリョーネは肩を落とす。

(せっかく作ったのに)

彼女は目に涙を浮かべながら、崩れた花冠を何とか修復しようと試みた。ある程度形を戻すことができた彼女は、一息ついて自宅へ戻ることを考え、彼岸の森に向かおうとした。

(あ・・・)

その時だ。彼女は気づいた。先ほど、自分自身が無事に花畑へ戻るために、巨人を彼岸の森でやり過ごしたが、その行先には自宅がある。彼女は両親を危険に晒したことに気づいた。

「お母さーん!お父さーん!!」

エスカリョーネは叫びながら、自宅へ駆け戻っていった。全力で走れば巨人よりも早く自宅にたどり着けるかもしれない。そんな淡い期待をして、エスカリョーネは走った。だが−−。

自宅に戻った彼女が目にしたのは、半壊した建物と、今まさに巨人によって、頭と身体を捕まれ、蹂躙されようとしている母親だった。

「だめー!!!!」

エスカリョーネの声も虚しく、母親は巨人によって頭をねじ切られ、絶命した。エスカリョーネは、その光景を見ながら、身体を震わせていた。

「エスカリョーネ!逃げなさい!」

父親は、混乱する娘の元へ駆けつけると、東へ逃げるよう指示を出した。浮遊大陸の最東部には剣術に長けた部族が住み着いている。彼らに助けを求めるのだと。

エスカリョーネは涙を流しながらブルブルと震えて、父親にすがりついていた。一緒に来て欲しいと、身体が訴えかけている。しかし父親はそれを拒んだ。

「エスカリョーネ。君は私たち夫婦の宝なんだ。君が無事でいることが、何よりも親孝行なんだよ」

娘はふるふると首を振った。

「私、お父さんと離れたくない」

「エスカリョーネ、世の中は順繰りなんだ。私達がやったことを、君も誰かにしてあげればいい。さあ、あまり私を困らせないでくれ」

父親はエスカリョーネの涙を拭くと、腰に巻きつけていたサバイバルグッズの入ったバッグを娘の腰に巻きつけ、彼女の背中を押した。

「安心しなさい。必ず後で合流する。お父さんが無事についたら、その時はまた一緒に話そう。この花冠、ありがとうな」

エスカリョーネは涙を堪えられなかった。エスカリョーネは、生まれ育ったこの場所を離れたくなかった。離れるつもりもなかったが、それでも足は勝手に動いた。父親の気持ちだけが、エスカリョーネを動かしていた。

 

エスカリョーネは後ろを振り返らなかったが、金属同士がぶつかり合うような音が聞こえた。父親が薪割り用の斧で、巨人と戦っているのだろう。もしかしたら本当に再開できるかもしれない。エスカリョーネは淡い期待を持った。しかし彼女は、目的地へ走りながら、彼岸の森にいくつかの影が生まれていることに気づいた。『世界の果て』から、怪物たちが入り込んでいるのだ。影は爆発的な速さで増加していた。ガサガサと草むらを踏み荒らす音から、進行速度も想像がつく。先ほどの巨人より、遥かに動きの早い生き物もいるようだ。

 

エスカリョーネはできるだけ足音や呼吸音がしないよう、ペースを上げすぎず、出来る限り急ぎ足で、浮遊大陸の最東部を目指す。道中は森に包まれていた。森の中を走っていると、どこまでが浮遊大陸だったのか、検討もつかなくなってくる。彼女はただがむしゃらに歩いた。そして日が暮れそうになる頃、彼女は怪物と遭遇した。

 

3ベルトはある巨大なゴリラだ。長い前足をついて、ゆったりと歩いている。エスカリョーネがゴリラの様子をうかがっていると、ゴリラは口角を45度上げてニヤリと笑い、エスカリョーネへと向かってきた。ゴリラの最高速度は時速50キロベルト。とても人間が逃げられる相手ではない。

「嫌だ!来ないで!!」

エスカリョーネは全力でゴリラから逃げた。しかしこれまで休みなく急ぎ足で歩いてきたために、足元もおぼつかない。ゴリラとエスカリョーネの距離はみるみるうちに縮まり、ゴリラのスピードにのったパンチが、エスカリョーネの背中に炸裂した。エスカリョーネは2ベルトほど浮かび上がり、その先の木に衝突する。

「アッ、ハッ」

息が吸えない、苦しさで気絶しそうだ。エスカリョーネが何とか呼吸を戻そうとしているところに、ゴリラが到着する。ゴリラはエスカリョーネを自分よりも格下だと認識したらしい。勝ち誇った表情で、下卑た笑みを浮かべている。ゴリラは彼女の髪の毛を掴んで引き上げると、腹部に蹴りを見舞った。エスカリョーネの吐瀉物がゴリラの足にかかる。ゴリラはにやりと笑い、もう一度蹴りを見舞う。エスカリョーネの意識は飛んでいた。ゴリラはエスカリョーネが動かなくなったのを見ると、『世界の果て』に向かって、彼女をずるずると引きずっていった。巣に戻り、慰みものにでもするつもりだろうか。ゴリラは勝利の咆哮をあげていた。

ズルズル ズルズル

エスカリョーネを引きずる音が、あたりにこだまする。ゴリラは道上の障害物を気にすることなくエスカリョーネを引きずっていった。道端の石ころや、木の根にエスカリョーネの顔面がぶつかり、その衝撃で、彼女は意識を僅かに取り戻していた。

(お父さん、ごめんなさい・・・)

エスカリョーネは、朦朧とする意識の中で、父親への謝罪だけを呟いていた。

エスカリョーネの頭に、低い男の声が響いたのはこの時だった。

『力が欲しいか』

(力・・・?)

『難局を切り開くための、手段となりうる力だ』

(この場所から逃れられるなら、なんだって欲しい)

『ならば、我を求めよ』

エスカリョーネは瞼を開いた。そこには、血を流した巨大なフクロウが横たわっていた。エスカリョーネは目を丸くする。

『ようやく目を開けたな。我が名はフレスヴェルグ。お前に力をもたらす者だ』

(どうすればいいの?)

『そのゴリラの手から離れ、私のもとに来い。私に残された時間も残り少ない。早くしろ』

(無理だよ、凄い力で、私逃れられない)

フレスヴェルグと名乗ったフクロウは、目を細めてエスカリョーネを見やる。

『お前の髪飾り。蝶の形をした髪止めを投げろ。それがゴリラを惹きつける。その間にお前は私の元まで来るのだ』

(それはできない! お母さんとお父さんがくれた宝物なんだよ)

『捨てるんだ、そんなものは。思い出は記憶に残していればいい。お前の両親もそう願うはずだ。早くしろ!迷っている時間はないぞ』

エスカリョーネはけだるい身体を何とか動かし、ゴリラにバレないよう、髪飾りを取り外した。

(お父さん、お母さん。ごめんなさい。絶対に忘れないから)

エスカリョーネは残った力を振り絞り、髪飾りをゴリラの正面へ放り投げた。ゴリラはキラリと光る髪飾りに気を取られ、エスカリョーネの髪を掴んでいた手を離し、髪飾りの元へ向かった。

『よし、成功したな。急いで私の元まで来い』

エスカリョーネは声に導かれるように、重い足を動かし、フレスヴェルグの元に倒れこんだ。

「来れたよ。次はどうすればいい?キスでもすれば良いのかな」

『喰え!』

「え?、えぇぇ!??」

『今から私が心臓を取り出す。それを喰うのだ。安心しろ。お前たちが普段食っている生レバーより、臭みは少ない』

「そんなこと言われても」

『ゴリラがこちらに気づいた。迷っている暇はないぞ』

フレスヴェルグは身体の傷を自ら広げてみせた。そこには、まだ動き続けている小さな心臓が存在していた。

『動いていては食べづらかろう。今から私が心臓を止める。私も心臓なしでは5秒ほどしか話ができない。最後の判断はお前に任せるが、このチャンスを逃せばお前はあいつに殺されるだけだということを、よく考えたうえで決断しろ』

フレスヴェルグは自ら心臓に手をやり、身体から心臓を引き抜いた。

『我を食せ、力を求めるものよ』

「・・・わかったよ」

エスカリョーネはフレスヴェルグに差し出された心臓にかぶりついた。味は、決して美味くない。鉄の味が口に広がってくる。生臭く、吐き気がする。

生きるというのはなんて辛いんだろう。大事なものを失い、宝物を捨て、吐き気のする食べ物を食べて。それでも生きたいという気持ちが、エスカリョーネの中には芽生えていた。食べ終わる頃、エスカリョーネは涙を流していた。身体の中に温かいものが入ってくる感覚。これまでボロボロだった身体に、力が宿っていく。彼女は立ち上がり、五体が正常に動くことを確認した。

 

『成功だな』

「わ!びっくりした。フレスヴェルグの声が頭のなかに直接響いてくる」

『お前は森の賢者、精霊フレスヴェルグの力を得た。まずはコスチュームを変更しろ。このままでは力が出せない』

「そんなこと言われても、どうすれば良いのかわからないよ」

エスカリョーネの眼前にゴリラが迫る。ゴリラは捕まえた髪飾りを口に含み、ガリガリと何度か噛むと、道端に吐き捨てた。味がしないためだろう。

『私が手本を見せよう。お前はゴリラに殴られて意識を失っておけ』

フレスヴェルグの声とともに、怒り狂ったゴリラのパンチがエスカリョーネを襲った。不意を突かれた彼女はパンチを正面から受け、意識を失う。だが、彼女の身体は地に膝をついていない。

『見せよう。これがフレスヴェルグの魔装具だ』

フレスヴェルグはどこからか風を呼び起こした。その風の中心にいるエスカリョーネは、いつの間にか貴族風のドレスに着替えており、魔女帽子を被っていた。背中にはフレスヴェルグの羽が片翼だけ生えている。

(ん・・・あれ?なんで私こんな格好に?)

『私の力を使うために、翼を召喚させてもらった。コスチュームはお前の深層心理に残されていたものを利用させてもらった』

(え?えと、ちょっと恥ずかしいような)

『細かいことは気にするな。私は羽さえあれば良い。さて、今から私が使う剣を、お前にも使いこなしてもらわねばならない。一度で覚えろよ。フィンブルヴィンテル』

フレスヴェルグに操作されたエスカリョーネは、両手で冷たく激しい風を呼び起こした。その中心に出来上がったのは氷の剣。

『これこそが、フレスヴェルグが愛剣バルムンク。では、ゴリラにとどめといこうか』

フレスヴェルグはエスカリョーネの体を操り、ゴリラへと向かっていく。ゴリラはフィンブルヴィンテルによって動きを封じられていた。

『一刀、両断!』

ゴリラは、バルムンクによって真二つに切り裂かれた。断末魔の叫び声が、冷えた空気にこだまする。

『バルムンクによって斬られた者は、わずかな声を上げながら絶命する。私はこれをニーベルンゲンの歌と呼んでいる』

フレスヴェルグはそれだけを言うと、身体のコントロールをエスカリョーネに返した。先程まで雲のように軽かった身体が、ウソのように重い。エスカリョーネはその場に倒れこんだ。

(もしかして、私は悪魔と契約してしまったのかな)

エスカリョーネは虚脱感の中で、心が後悔に苛まれていくのを感じた。

 

贖罪の地が怪物によって陥落したのは、彼女が眠りに落ちた頃だった。

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