第8項 アイン・スタンスライン7(MVV)

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『何を話している、あの白痴は』
 マルルトは苦虫を噛み潰した表情で国王を睨んでいた。どうせ国王の世迷い事で、失言で、明日には取り消して、無かったことにしたくなるのだろうと軽蔑しながらも、彼はこの状況を利用できないかと考えていた。

『そうだ。世襲制というルールを崩せば、その後がやりやすく、なる。あとはあの前途ある若者を潰せば良い。思えばここで王を殺害し、私が国王になれば、王殺しの疑いが私にかかるかもしれない』

 凱旋式の会場は喧噪に包まれかけていた。その喧噪を治めたのはロンドゥール・モンペリオだった。ロンドゥールはエル・クリスタニアの社交パーティでアインの才能を最初に見いだした男だ。
 先手を打たれたマルルトは眉間に皺を寄せて、歯ぎしりをしたが、すぐにロンドゥールへの賛同を表明して、ボウガンを射出した男を見つけ出し――といってもマルルトが王を撃つよう命じたのだが――、彼を刑務所へ連行させた。そして新しい王に向かって礼をする。

「今後とも、よろしくお願い致します。新国王」
 だが、マルルト・ストラトスはこの日命を落とす――。

***

 アイン・スタンスラインは国王になった。その労働環境は、まるで異世界と言ってよかった。アインはエル・クリスタニアアカデミーの社交部時代にも、クリスタニアの閥徒とは交流が無く、職場に顔見知りの人物は1人もいない。また、周りの閥徒達は、アカデミーを主席で卒業できるような一角の人物だらけだ。知識、才能、努力、全てに優れた人材が一堂に介している。無論彼らのプライドは高く、ぽっと出の若像が認められるのは並大抵ではない。

 それだけでなく、クリスタニアの閥徒にはヴォルター・K・グインの息がかかっていた。彼らはまず、アインに対して丁寧に接した。それから所信表明が必要だとアインに伝え、会場の手配と案内を行なった。彼らは、表明する内容についてはアインに任せると言った。17歳の若者に、まともな所信表明など出来ないと踏んでいたのだった。アインはこの課題にチャレンジする。所信表明は9月19日――。

 当日、白い正装に身を包み、彼は話し始める。
「はじめまして。アイン・スタンスラインと申します。今日は、私の話を聞きにきてくださって、ありがとうございます。若輩者ですので、皆様を満足させられる言葉は、語れないかもしれません。ですがわずかでも、心に、私の言葉が届けば幸いです。よろしくお願いいたします」
 彼はそういうと、1人1人に挨拶をして回った。閥徒の中には彼の話を聞こうともせず、トランプに興じている人もいて、そういった人を巻き込む目的だ。

「こんなにも多くの国の政治を担う皆様と、お話ができることを、喜ばしく感じております。ですが、そろそろ、早く始めろという野次をいただかないとも限りません。可能であればもう少しお時間をいただき、皆様にご挨拶を行ないたいのですが、いかがでしょうか。
 ――特に批判の言葉もありませんでしたので、続けさせていただきます。私は皆様のお顔とお名前を覚えておきたいのです」
 彼はそう言うと、100人近いクリスタニアの閥徒に挨拶をしてから、笑顔でひな壇に上がった。彼はもう一度周りを見渡してから、穏やかに話し始めた。

「さて、ようやく本題に入らせていただきます。わたくし、アイン・スタンスラインは、前国王サウザン・オースティアの勅命をいただき、第33代目オースティア国王に就任いたしました。1つ、皆様に最初にお伝えしておくべきことがございます。オースティア王国は、これまでオースティア家の人間が王位を継承し続けて参りました。建国者であるアルファ・オースティアより、連綿と続く血の伝統は、約300年の長きにわたって、32代続けられました。その300年間、オースティア王国が、多くの不幸と幸福と、哀しみと喜びに見舞われながらも、大きな繁栄を享受してきたことは、ひとえにオースティアの血族と、彼らのために尽力した政治家の賜物であったのでしょう。

 ですが――お伝えしておきたいことというのは、ここからになりますが、33代目の王である私は、王家の人間ではありません。オースティア王家が集積してきた統治の伝統、憲政の大河から、離れた場所より、私は訪れ、その伝統の末端に連なることとなりました。わたしは、担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません。わたしは、オースティアという広大な河の内で、学びをいただいた国民ではありますが、それだけでしかありません」

 アイン・スタンスラインは瞳を閉じ、ゆっくりと息をすって、続ける。
「申し上げます。オースティアは、強くあらねばなりません。強いオースティアとは、全ての国民が機智に富み、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。
 オースティア建国のころから築かれてきた8つの学園都市は、人々に英知を授けなくてはなりません。我が国は、これまで300年間、独立を保ち続けてきました。もちろん何度も国家存亡の危機が訪れたことでしょう。その度に国政を担う人々が、機智により、破滅を回避する打開策を打ち出してきたのです。また、偉人伝や歴史書には、ユーグリッド大陸諸国の名家のものが、オースティアのアカデミーで学びを受け、自国で夢を果たしたという記録も残っております。それだけの教育力がオースティアのアカデミーにあるのです。これは、誇るべき国柄であります。

 オースティアを、誰もが行きたい道を、行くことができる国にしましょう。それでいて人々が互いに認め合える世の中にしましょう。国民の行く末に、平和と安全を保証し、人々の暮らしに、持続的な希望を与えられる国にしましょう。一般の人々が幸せに生きられる国こそ、素晴らしい国だと、わたしは考えます。わたしは、これらを達成し、盤石なものとすることに本務があると深く肝に銘じ、国王としての職務に、一身をなげうって邁進する所存であります。それでもこのことは、1人の力では、果たすことはできません。なぜならわたしは、政治という舞台に上がりこそしたものの、まだ足は泥濘の中にいるからです」

 王は、ひと呼吸置いて、力強く言った。
「私は、皆様の力を借りたい。これまで政治という舞台で、多くの戦場を越えてこられた皆様の知恵をお借りしたい。エールとリベラリアの間に戦争が勃発し、リベラリアとの国交関係に緊張が走る今、最適な政略は何か。国家としてどう動くべきか。私自身の浅はかな考えに対して、助言をいただきたいのです。オースティアの王族ではない私に対して、皆様は力を貸すに値しない人間だと、思われるかもしれません。これについては返す言葉はありませんが。しかし、オースティアの国民性が、魅力的な教育にあるのならば、オースティアの王族でない私に対してでさえ、政治についての教育を下さる方がおられるかもしれない。それに祈りをかけて、私はこの所信表明の場で皆様にお話いたしました。

 最後になりますが、わたしはオースティアの国王として、責任と実行力のある政治を行うことを、国民の皆様にお誓いします。私はオースティアの未来に、希望を抱いています。この素晴らしい国を、末永く維持していくことが、オースティアの子ども達の未来につながっていきます。オースティアに、希望を。以上をもって、わたしの所信表明を終えます。ありがとうございました」

 辺りを沈黙が包んだ。ある青年閥徒は、この所信表明を珠玉の言葉だと感じた。言葉の抑揚、振る舞い、話し方、全てが高い水準で維持されており、内容をスッと胸にとけ込ませる。
『一緒に考える人もいないだろうに、よくここまで内容を洗練できたもんだ。しかもあんな若者が』何人かは独り言のように、唸ってしまった。

 アイン・スタンスラインは、この所信表明に、組織の力を1つにするための布石となるフレーズを込めていた。国政を経営に置き換えるならば、国王は社長であり、政治家は社員と言える。そして経営において、組織の力を1つにするために欠かせないものがある。それが企業理念だ。そして企業理念の多くはMVVの組み合わせで構成されている。MVVというのはミッション(使命)、ビジョン(将来像)、バリュー(価値)の頭文字を取ったものだ。アインが所信表明に込めたMVVはこうだ。

■ミッション――つまり果たさなければ行けない役割、社会に提供する価値、存在する意義とは、『この素晴らしい国を、末永く維持していく』こと。

■ビジョン――将来のあるべき姿や中長期的に目指す目標像とは、『オースティアを、人々が互いに認め合い、誰もが行きたい道を行くことができる国とすること。国民の行く末に、平和と安全を保証し、人々の暮らしに、持続的な希望を与えられる国とする』こと。

■バリュー――何を大切にしてミッションやビジョンを実現するかの行動指針や姿勢を示したもの。彼はこれを『一般の人々に焦点を当てて考えること』と考えていた。一般の人に焦点を当てて考えれば、何をすれば良いかは自然と見えてくる。彼はこのことを所信表明で明言こそしていないが、言葉の節々に”人々”という言葉を含めていた。

 つまり彼が考える大義とは、『一般の人々に焦点を当て、彼らが希望を抱くことの出来る国をつくり、末永く維持していくこと』だった。

 この演説の後、何人かの閥徒はアインに接触を図った。しかしヴォルター・K・グインの介入が入ると、途端にアインの周りから人は減っていく。閥徒達は、政治を行うためのノウハウや、資料の場所をアインに全く教えなかった。アインは次第に孤立していき、政界という大きな波の中で、もがき苦しんでいくこととなる。そしてアインは致命的な過ちを犯した。リベラリアの領土エイリオに攻め入ったエールの人々に退却命令を出すのが遅れ――退却命令を閥徒達がエールへ届ける振りをして破棄したことが原因だが――、リベラリアの軍事大使ベアトリスによってリベラリア在中のエール軍が全滅したのだった。

 このタイミングでヴォルター・K・グインは3つの批判を行なう。それは
 ⑴現在批判――今国王として充分な実力がないこと。
 ⑵過去批判――エールという3流アカデミー出身であること、刑務所に収監されたこと、過去知恵遅れだった事実。
 ⑶記憶批判――エルゴルの故郷から連れてきたアインの親友にアインを批判させ、アインの縋るべき過去を踏みにじる。

 アインの精神はこれら3つの批判によって破滅へ導かれていった。

 
 
《第1部アイン・スタンスライン目次》
プロローグ
第1項 アイン・スタンスライン1(PDCA)
第2項 アイン・スタンスライン2(5−Why)
第3項 アイン・スタンスライン3(As Is / To be)
第4項 ケルト・シェイネン1(GROWモデル)
第5項 アイン・スタンスライン4(イノベーター理論)
第6項 アイン・スタンスライン5(FABE)
第7項 アイン・スタンスライン6(ジョハリの窓)
第8項 アイン・スタンスライン7(MVV)←いまここ
第9項 ライロック・マディン1(ランチェスターの法則)
第10項 アイン・スタンスライン8(レヴィンの変革モデル)
第11項 ライロック・マディン2(ハインリッヒの法則)
Product(第2章以降はこちらへ)
 

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